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留学体験 - 川端梓沙さん

障がいを乗り越えて、2度の語学留学。将来は通訳として日米障がい者の架け橋に。

川端梓沙さん
静岡県出身。生まれつき重度の脳性まひで、自力で動かせるのは、左肘から先と、首から上だけ。障害者でも人に何かしてあげる事が出来ると、通訳になる夢を果たすため2008年渡米。帰国後は障害者の国際交流の架け橋となる為、非営利団体マムで活動。

今回は川端梓沙さんをご紹介します。今年成人式を迎えた20才の女性。生まれつき重度の脳性まひで、自力で動かせるのは、左肘から先と、首から上だけ。両下肢は使えないので、車椅子で移動。小中学校は、お母さんの付き添いで公立学校に通学。高校は受け入れ先がなく、在宅で通信教育で学んでいました。将来を考えた時に、自分が動かせるのは、首から上。つまり、話すことはできるのだから語学を学んで将来の仕事につなげられないだろうか、そんな想いを抱きました。現在の夢は、通訳になり障害者の国際交流に貢献、両国の架け橋になることです。

留学を決意した時、梓沙さんの留学が実現すると信じていたのは、本人とお母さんだけ。どの留学業者に聞いても、重度の障害者の受け入れは困難との返事で、あきらめかけていた頃に、IGEに問いあわせをしてくれました。IGEには、日本で養護学校勤務の経験をもったスタッフもおり、何とか実現させたいと思いました。

アメリカというところはいろんな意味で本当におもしろいところだと思う。失敗をしてもまた立ち上がれるタフさがあれば必ずいつかは報われる。自分を信じて進んでいける人、自分の恥をさらけ出してでも前に進もうとする人を周りは応援してくれる。そんな寛容さと開拓精神が自分にとってアメリカの魅力だ。

24時間体制で完全介護の必要な梓沙さんのための受け入れ態勢を整えていくと、やはりいくつかの壁がありました。まずは、学校。受け入れに積極的な学校はほとんどなく、受け入れ決定のために、車椅子のサイズ、トイレ休憩はどうするかなど、多くの確認する事項がありました。学校決定後の次の問題は、ホームステイ先と滞在先での介助体制。でも、障害を乗り越えて夢を実現させたいという梓沙さんの想いが伝わり、介護のプロのホストファミリーが見つかりました。通学も一苦労です。ホストファミリーも仕事があるので、毎回送り迎えをするわけにもいきません。家から学校まで送り迎えしてくれる障害者用の公共バスを利用しています。

そして、昨年の夏、3ヶ月間の語学留学を終了。そして帰国するおりには、次は半年間の留学を決意していました。その決意を実行に移し、今年2月中旬に再渡米。前回と同じ語学学校に通っています。先生やクラスメートも親切で、楽しんで通学しています。ホストマザーは、「彼女は、不自由さがあっても愚痴をいわない。我慢強いし、優しい。」とベタほめ。エミリーというアメリカン・ネームもつけてもらいました。

留学生活は、殆どがスムーズにいきません。今の問題は、足の痛み。障害からくる股関節の痛みで、夜中に何度も目が覚めます。でも、そのたびにホストファミリーを起こすのは申し訳ないと、できるだけ我慢しています。現在、痛みを緩和する処方薬が届くのを待っているところです。登校しても、痛くて車椅子に座っていることができず、ソファに横になっていることも。

次から次に問題は起きますが、梓沙さんは、決して留学を止めようとは言いません。自分を支えてくれる家族や周りの人々への感謝の思いがあるからです。また、この留学では、英語上達以外にも家族からの精神的自立という大きな目標があります。生まれてから今まで何をするにもお母さんとずっと一緒。お母さん以外の他の人にすべての介護を頼むのも初めて、離れて暮らすのも初めて、それをアメリカで実現したのです。お母さんにも、自分がいなくなっても梓沙さんが一人で生きていけるようになって欲しいという強い思いがありました。梓沙さんは、昨年1月に父親を突然の病気で失いました。お母さんは障害児のデイケアセンター(NPO)を運営しています。日本で頑張って働いているお母さんを思うと、梓沙さんはあきらめるわけにはいかない。家族以外にも自分のことを応援してくれている人が沢山いることを知っています。

最初の3ヶ月の留学の時にお母さんと離れ離れになった時は、涙がかれるほど泣いたり、「英語が全然わからない」「会いたい」などの一方的なメールをお母さんに送っていましたが、1ヶ月もすると、「お母さんは働きすぎていない? 大丈夫?」とお母さんを労う余裕も出てきました。

留学生活の間に、日本では体験できないことを出来るだけしたい。積極的な梓沙さんは、ホストファミリーとヨセミテへキャンプに出かけたり、地元の青年会に参加したり、プライベートレッスンを追加してさらなる英語の上達を目指したりと毎日大忙しです。アメリカの多くの障害者にも会い、同じ脳性まひのアメリカ人女子学生との感動的な出会いもありました。障害の程度は多少軽いとはいえ、彼女も車椅子での生活。でも、出会ったその彼女は、もうすぐネパールにボランティアにでかけます。障害者は、人にしてもらう存在だと思っていましたが、してあげられる存在でした。しかも、障害を誇りに思う、と言い切ったそうです。その姿を見て、梓沙さんも自分が人に何かしてあげられる存在になれると確信しました。

将来、通訳となり、障害者のための架け橋となる日が来るのが待ち遠しいです。障害を個性として受けとめ、自分らしい生き方をしていく、そんな梓沙さんの姿に心を打たれます。梓沙さん一人の勇気が、今後数え切れないほどの人に希望を与え、多くの人の夢の実現のきっかけとなるでしょう。私達IGEもこの経験を生かして、障害があるから、と夢や希望を失いがちな人々をサポートしたいと考えています。

文責:IGE