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留学体験 - 酒井涼佑さん

NATAアスレティックトレーナーの大学院進学への道

酒井涼佑さん
兵庫県出身。関西の体育大学を卒業後、留学。語学学校、コミカレを経て、2018年、念願のユタ州のWeber State University大学院に合格。コミカレでの成績が認められ、WSU大学院から奨学金を獲得。 子供のころからスポーツ大好き。しかし、ケガが多かった事がきっかけで、NATAに興味を持った。ATで世界最高峰のNATA資格を持つことにより、世界のスポーツ界で活躍したいと思っている。

2016年春、一つの目標を掲げて渡米しました。元々、アスレティックトレーナーや留学に興味がありましたが、経済的理由から渡米する予定はありませんでした。しかし、日本の大学から学費の免除をもらえたことがきっかけで、NATA公認アスレティックトレーナーになることを決意しました。

はじめはまず語学学校で約7か月過ごし、その後コミュニティカレッジに入学して、NATA大学院が必要とする事前履修科目を取得しました。そして、2018年2月にWeber State University Master of Science in Athletic Trainingのプログラムに合格しました。学校が始まるのは、2018年6月です。

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渡米して初めの7か月間は、ロスの南のオレンジカウンティの語学学校で勉強。最初に意識したことは、とにかく外国人の友達をたくさん作ることでした。しゃべることが苦手だった自分は、自分より英語ができる友達を作っては積極的に話に行ったりして語学力を吸収していきました。

しばらくしたのち、TOEFL対策コースに入りました。大学院進学では必ずと言っていいほど、TOEFLを要求してきます。はじめは戸惑いましたが、教師のテクニックを忠実に真似たことで、最終的に渡米前より40点以上伸びました。半年を過ぎたところで、さらなるステップのためにコミュニティカレッジに編入しました。

2017年の春が、アメリカに来て初めての大学生活だったわけですが、思いのほかいいスタートが切れました。教師の言っていることはほぼ理解できるレベルに達していたので、あまり苦労することもなく、幸先のいいセメスターとなりました。このセメスター中には数学やESL、Healthの他、ついにアスレティックトレーニング(AT)の授業も受ました。ATの授業では実技も含まれていて、ATルームで怪我の評価の仕方やテープの巻き方など基礎的なことを学びました。セメスターの最後には足首の捻挫に対するテーピングの試験を受けましたが、自分でも納得の巻き方ができました。

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左端が涼佑君。他のIGE – NATA留学生とともに。現時点で、この写真の中の3名が大学院に合格!

2017年秋のセメスターが始まると、いつもの授業にに加えて、オブザベーションアワーをしました。ATの監督下のもと実際にATの仕事の一部を体験し、本当にATとして働きたいと思うか見定める時間です。私は週に4度のシフトに入っていましたが、はじめはいきなり日本人が一人、ATのチームの輪に入るということで、少しだけひるみましたが、他のメンバーの優しさに救われました。仕事内容は試合や練習に帯同し、テーピングや応急処置などATらしいこともしましたが、水の準備や試合会場の設営などの雑務もこなしました。この実習を通して思ったのは、全員が無駄な動きをしないことです。例えば一つの仕事にかける人数は最低限に抑え、他の仕事にも人をさばくという効率の良い動きをしていました。

2018年春のセメスターはいよいよ最後のセメスターでした。始まってすぐは大学院の合格はまだもらっていなかったので、多少心配はありましたが、いつものように日々勉強し、遊ぶときは遊び、変わらない日常を過ごしました。二校に出願し、カリフォルニア内の大学院ではなく、ユタ州の大学院から合格をもらいました。エッセイなどの書類審査ののち、電話での面接をやりきりました。相手の顔が見えないなか、第二言語で話すというのはなかなか慣れないものでしたが、事前に準備をしていたメモ書きを頼りに、どんな質問を聞かれても対応できるようにしていました。さらに合格をもらったと同時に、GPAがよかったので留学生用の奨学金ももらえることになりました。今まで日本の大学にいる頃からずっと勉学をおろそかにしなくてよかったと思いました。

渡米してきてから、ポジティブな思考を持ち続けてここまできました。特に大きな苦労というものもしていません。私は苦労することが嫌いなので、いかに楽してここまで来るかを考えてきました。このような言い方をすると誤解があるかもしれませんが、私は毎日こつこつと小さな努力を重ねて、大きな苦労をすることを回避することをしていました。アメリカに来て一番学んだのは、日々いかに賢い決断を繰り返し、効率よく動くかでした。大学院にいっても自分のやるべきことを淡々とこなして、アスレティックトレーナーに一歩ずつ近づきたいです。

(2018年5月掲載)