留学体験 - 新井田朝子さん
アスレティックトレーナーの憧れ athletic training rookie’s award(新人賞)を受賞
私がアスレチックトレーニングで学士号を取ろうと思い始めたのは、高校の三年生の時です。カナダで高校 3 年間を過ごした後、自分で得た英語力を生かしてさらに自分らしい生き方がしたいと思い、スポーツ医学に興味があったこと理由に、アメリカへの留学を試みました。
さすが、スポーツの国アメリカ、と思ったのが最初の印象です。カナダもアメリカも似たようなものだと思っていた私は本当にビックリしました。 Division 1 の学校ならほぼ学校のスポーツに資金を振り込んで整った施設を構えています。私の通う Ball State University (Indiana) では、フットボールスタジアムやアリーナの設備が整っています。 1992 年に開設された John E. Worthen Arena はスポーツイベントが行われる度に 11500 人の観客が訪れることができます。
アメリカで認められるアスレチック トレーナーは NATABOC( National Athletic Trainers’ Association Board of Certification) より与えられるテストに受からなければなりません。私の通う BSU アスレチックトレーニングプログラムは、 CAAHEP より認められる学校の一つで、プログラムを終らす事によってテストを受けられる許可が下ります。
プログラムに入るには学校それぞれシステムが違いますが、ここ BSU では、まず学校に入学しなければなりません。入学した後、 PEP196( Introduction to Athletic Training) というクラスを取ると共に 50 時間の見学をします。プログラムへの願書を送った後は書類審査の結果を待ち、通った場合には二次審査の面接があり、その面接に通ってやっとプログラムに入れるという訳です。
プログラムは 6 セメスター ( 学期 ) 制で、夏休みを使わない場合、一年生の期間も含めて大学からは 4 年で卒業です。今現在 (2004 年春 ) 私は Junior( 三年生 ) 、後一年少しで卒業と言うところでしょうか・・・。プログラムに入ってからはもう二年が終ろうとしています。
ほぼ毎日アスレチックトレーニングの勉強に接するので、本当に毎日が勉強です。学校のスポーツの練習に合わせる為、クラスは朝から始まり、昼は練習、夜は宿題 ( ?! ) またはリラックスの時間です。セメスターごとに違うスポーツチームの学生トレーナーとして働くようにプログラムの方から指導されます。そのうち 2 セメスターは地元のクリニックや高校で働き、 1 セメスターはアメフトと決まっています。ちなみに、残りの 3 セメスターは私の場合、水泳、ソフトボールにフィールドホッケーでした。
クラスの方は、一年目はけがの予防や評価の仕方、二年目は運動治療法、三年生はアスレチックトレーニングのマネージメントや心理学などを学びます。始めは思ったよりも時間ばかりなくなって大変な学部だと思っていましたが、最近ではもう慣れっこです。毎日同じ人と働く事が多いため、それもまた楽しいと思えるし、忙しい方が結構学校の勉強とアスレチックトレーナーとの両立が結構バランス取れるので、毎日生き生きしてられます。
アメリカに来てアスレチックトレーグを専攻する日本人の人たちが増えてきていますが、じゃぁアメリカに来なければ勉強できないのかといえばそうではありません。 日本でも同じ科目を勉強できる専門学校や大学もどんどん増えてきているようです。 どんな人でもどんな所に居ても、自分のやる気でアスレチックトレーナーという科目を自分の物にしていくレベルが変わってくると思います。
でも、アメリカに来る事で、この二年間システムの整ったプログラムで色々と勉強ができ、後一年で NATA のテストも受けられる予定です。やはり、ここスポーツの国アメリカで本格的にアスリートと一緒に自分の分野を勉強していられる事がこの留学経験の魅力なのだと思います。
日本にもたくさんのアスリート達がいるのに、アスレチックトレーナーという職業がアメリカほどに理解されていません。アメリカで得られる経験を生かして、日本でもアスレチックトレーニングという分野がもっと必要とされるようになるよう貢献していきたいです。そのためにも、残り少ない後一年間の大学生活を、勉強面でも、アスレチックトレーナー活動面でも、精一杯楽しんで行こうと思っています。